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それからもう一つ精神的な、心の側面も忘れてはいけないと思うのですが、こういった患者さんの家族は、自分たちで最後まできちんと面倒をみなければ、罪の意識を感じてしまうというようなことがあるのではないかと思います。くたくたに疲れていても、やらないとなんとなく悪い気がしてしまうというようなことがある。そういうような末期の患者さんを抱えてしまった悲しみのプロセスとしてそういうことに罪の意識を感じてしまうということは自然のことなのだということを患者さんの家族にも理解をしていただくお手伝いを私たちがして、そして必要に応じて私たちのほうでいろいろな援助を提供するようにすることも大事なのではないかと思います。
きちんとやってあげないということに対する罪悪感があるかないかは別にして、そういう罪悪感もそのような患者さんを持った悲しみのプロセスの一つとして自然なのだということは理解してもらう必要があると思います。
−ホスピスにお入りになる患者さんの家族にもこういう方がいらっしゃいます。経過記録に「10月23日に便が出ない、ポータブルトイレに30分おき」と書いてあるのですけれども、症状コントロールとしてもうちょっとなにかできることがなかったのかと思います。確かにご主人も疲れたでしょうけれども、こういう場合患者さん自身も疲れますよね。もしその時、薬などで解決できることがあったら、ご主人が断ったにしても患者さんが疲れるのではないかというような話をしてあげてもいい。あとは「ナースコールをするように話した」ということですが、話をするだけではなくて頻回の訪室と、あとはそれでもやりたいという方にはやっていただくのですけれども、その時に介助の方法、こういうようにしたほうが楽ですよというような指導もあわせてやるようにしています。
家族が頑張るというときに、いまあなたが倒れてしまったら患者さんがこういうふうに困る、だから私たちも一緒にやりたいのだというようなことを伝えてあげるようにしています。
Andrew こういう場合にはドクターが果たせる役割もあると思います。看護するナースをドクターが側面からサポートしてケアをしやすくするのです。ドクターのほうが、家族や患者に提案することはやりやすい立場にあるのではないかと思います。患者さんも家族の方も本当によくやっていらっしゃいますね、ナースがそれをいろいろお手伝いできますからこういうふうにしたらどうでしょうと。こういうように一生態命に介護に当たっている家族に対してはドクターが間に立ってナースが援助しやすいような状況をつくることができるのではないのかなと思います。
家族へのサポートは
−ちょっと違った観点からの話なのですが、WHOのパリアティブケアの定義に、家族に対するケアのシステムをつくるということも書いてあります。最初そのことを知ったときに驚いたのですが、よく考えると、家族のケアがうまくいかなければ患者さんのケアも十分にはいかないだろうということと、もう一つは家族のケアをするのは差し当たっては緩和ケアのチームしかなだろうといったいろいろな理由があると思いますけれども、とにかく家族ケアが必要だということはよくわかったのです。ただし家族のケアのシステムを構築するというようなことになりますと、はたしていまのままでいいのかどうか。ケアということをみんなが知恵を絞ってやるだけでなく、やはりある面では社会的な評価とかあるいは保険上の点数化まで考えていかなければシステムにはならないだろうと思うのです。アメリカではある程度システムが組まれている点も見られますが、イギリスではどうなのか、あるいは日本ではどんな展望があるのかということをうかがいたいのです。
武田 WHOは家族のケアのシステムをつくれとは言っていません。緩和ケアの対象としては患者と家族を一つのユニットとして考えると言っております。二番目は患者が苦しんでいる間に共に苦しんでいる家族へのケアを医療者は常に視野に入れておけ、そして患者が死んだあともできればフォローしてあげなさい、それが遺族の発病率を低めるからということを書いております。特別なシステムを新たに作れということではなく、いまのシステムの中でそういう視点を持てということを言ってるわけです。

 

 

 

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